神田伯山の「武井壮」化

このサイトは別に神田伯山師匠を攻撃しようと思ってつくったわけではない。
むしろ私は伯山のファンである。
が、週に一度のラジオの感想を書くと、どうしても批判になってしまう。
面白い内容だったら面白いと書くつもりでいる。

だが、もう何ヶ月も笑わせてもらっていない。
今回も批判だけになりそうだ。

伯山の小学生時代の恩師と対談するという企画があったらしい。
小学生といっても3,4年である。
対談が成立するのか?
伯山が当時の思い出を振っても、先生のほうは「覚えていない」の連発だったようだ。
よっぽど対談相手がいないのか。

ところでタイトルの「武井そう」化、というのは、こういうことだ。
武井そうという人のことはよく知らないが、ラジオのゲストとかで数回話を聞いたことがある。
そのとき彼は必ずといっていいほど、亡くなったお兄さんの話をするのだ。
相手が聞いてもいないのに、である。
ラジオを聴いているほうとしても、はあ、それはたいへんでしたね、というしかない。

今回の伯山のラジオでも、いきなりお父さんが亡くなった話をし出した。
伯山にどういう計算があるのかは知らないが、リスナーとしては戸惑うばかりだ。
身内が死んだ話は、よっぽどのことが無い限り、自分から持ち出さないほうがいいのではないか。
武井そうも伯山も、もしかしたら好感度、共感度が上がると思っているかも知れないが、あまり効果はないと思う。


あと、講談界を舞台とした漫画を伯山が監修しているらしい。
漫画家と対談をしているということで、神田伯山ティービーを見てみた。
その漫画家が顔にモザイクをかけていた。前科者か。
モザイクかけるくらいなら、YouTubeに出るなよ。

以前、週刊少年ジャンプの作者が素顔を晒したとたん、漫画のファンが激減したということがあったようだ。
それを考えると、何が何でも顔出ししろとは言いにくいのだが、どうも引っかかる。
講談社が送る講談マンガ「ひらばのひと」。
タイトル、どういう意味? 競馬マンガ? わかりづらい。
なんか人気出なさそう。

あと、ラジオの笑い屋、気持ち悪い。