伊集院光が「キ〇タマ」と言うと、スタッフが笑う。
話が面白いか面白くないかは、もはや関係ない。
「キ〇タマ」とか「カ〇パー」とかいうワードが「声を出して笑え」という合図になっている。
いい年をした男たちが「キ〇タマ」の連呼に笑い声を上げている図。
さすがに白ける。
スタッフの方々は番組を盛り上げようとしてがんばっているのだろう。
だがここまでわざとらしいと、
「スタッフがわざわざ笑い声を入れているってことは、本当は面白くないからなんだろう」
と、ひねくれ者の私などは考えてしまう。
だがスタッフ笑いがプラスの方向に効果を上げている例もないことはない。
とある関西のラジオ番組なのだが、よほど耳をすまさないとスタッフの笑い声はきこえない。
それが逆に「リスナーに聞かせようと思って笑っているわけではない」感じが伝わってくるので、スタッフが声を上げて笑ったとき、これは本当に面白くて笑っているのだなと信じることができる。
その番組のスタッフは滅多なことでは笑わない。
パーソナリティが「キ〇タマ」と言えばお約束で笑ってくれるような甘い人たちではない。
演者も裏方も真剣勝負、番組が良い緊張感に包まれている。
私は東北在住なのだが、いまでは関西圏のラジオ番組を聴くことが多くなった。
もしラジコがなかったら、関西のラジオのクオリティの高さを知ることはなかったろう。
ラジコさまさまである。
ちなみに本当に面白いと思う、関東のラジオ番組をひとつあげるとすれば、
ニッポン放送の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」。
もちろん高田御大が担当されている月、金のみ。
ほかの曜日は聴くに堪えない。
あとはTBS「問わず語りの神田伯山」ということになるか。
だがこれも笑い屋なるものをはべらせていて、それがうざい。キモい。
結局何が言いたいのかというと、
「ウソ笑いにダマされるほどリスナーは甘くないよ、むしろ白けさせるだけでデメリットのほうが多いよ」
ということでございます。