「ひろゆき氏、レジェンド校長を擁護」について思うこと

日本が20年後、貧困国に陥ったとき、

たとえば中国人の大富豪が日本の少女たちを買いあさったとしよう。

それでもひろゆき氏は「これは彼女たちにとって良いことなんですよ」と言うのだろうか。

 

ひろゆき】レジェンド校長は超優秀です! - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=G_Tmi-gYJMo&t=11s

 


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「立川志らく vs. 神田伯山」は伯山の圧勝

「寄席に出ていない部外者がゴチャゴチャ抜かすな」という主旨の伯山の発言を受けて、立川志らくニッポン放送のなんとかいう番組で話していた。

要約すれば
「オレは年上だ」
「オレは怒ると怖い」
立川談春にケンカを売ってみろ。できないだろう」
「伯山は実際に会うとペコペコしている」

という内容だった。

相変わらずせこい。
マイルドな脅しに終始していて、論理がない。よって説得力がない。

これからも二人のバトルは続いていくかも知れない。

だったらいっそのこと二人会をやってみてはどうか。
あるいは春風亭一之輔を加えて三人会とか。

志らくは番組の中で
「本来なら一之輔は、オレに対して口を利くこともできないほど下の存在」
と言っていたし。

で、三人会の模様をネットにでもあげて、誰が一番いけてる芸人か、世間の評価を仰げばいい。

おそらく伯山は受けて立つだろう。
たぶん一之輔も。
問題は志らくだ。
若い頃ならともかく、今の志らくに勝ち目はあるか。

たぶん同じ土俵には上がろうとしないだろうな。

伊集院光「深夜の馬鹿力」のスタッフ笑いに白ける

伊集院光が「キ〇タマ」と言うと、スタッフが笑う。
話が面白いか面白くないかは、もはや関係ない。
「キ〇タマ」とか「カ〇パー」とかいうワードが「声を出して笑え」という合図になっている。
いい年をした男たちが「キ〇タマ」の連呼に笑い声を上げている図。
さすがに白ける。

スタッフの方々は番組を盛り上げようとしてがんばっているのだろう。
だがここまでわざとらしいと、
「スタッフがわざわざ笑い声を入れているってことは、本当は面白くないからなんだろう」
と、ひねくれ者の私などは考えてしまう。

だがスタッフ笑いがプラスの方向に効果を上げている例もないことはない。

とある関西のラジオ番組なのだが、よほど耳をすまさないとスタッフの笑い声はきこえない。
それが逆に「リスナーに聞かせようと思って笑っているわけではない」感じが伝わってくるので、スタッフが声を上げて笑ったとき、これは本当に面白くて笑っているのだなと信じることができる。

その番組のスタッフは滅多なことでは笑わない。
パーソナリティが「キ〇タマ」と言えばお約束で笑ってくれるような甘い人たちではない。
演者も裏方も真剣勝負、番組が良い緊張感に包まれている。

私は東北在住なのだが、いまでは関西圏のラジオ番組を聴くことが多くなった。
もしラジコがなかったら、関西のラジオのクオリティの高さを知ることはなかったろう。
ラジコさまさまである。

ちなみに本当に面白いと思う、関東のラジオ番組をひとつあげるとすれば、
ニッポン放送の「高田文夫ラジオビバリー昼ズ」。
もちろん高田御大が担当されている月、金のみ。
ほかの曜日は聴くに堪えない。

あとはTBS「問わず語りの神田伯山」ということになるか。
だがこれも笑い屋なるものをはべらせていて、それがうざい。キモい。

結局何が言いたいのかというと、
「ウソ笑いにダマされるほどリスナーは甘くないよ、むしろ白けさせるだけでデメリットのほうが多いよ」
ということでございます。

神田伯山 vs. 立川志らく 雑感

昨日(2021/05/07)、神田伯山が自身のラジオで、立川志らくツイッターで反撃されたと言っていた。

私の判定は、このいさかい、伯山の勝ちである。

志らくツイッターの中で「(伯山の言うことが正しいのなら)情報番組の司会を帯でやっていない人間は何か意見をいったらいけない(ということになる。そんなはずがあるわけない)」というようなことを言っていた。

 

「情報番組の司会」云々のたとえを用いるあたりにダサさを感じる。

 

粋だとか、イモだとか、せこい、だとかで言うなら、伯山は粋だが志らくはださいのだ。

 

志らくM-1グランプリで審査員をつとめたが、これはするどいと思わせてくれるようなコメントがいっこもなかった。

 

もし伯山がM-1の審査員をしたら・・・想像するだけで楽しいではないか。

なにかニュースになりそうなことをやってくれそうな気がする。

 

志らくは自分のことを「自分の落語界でのポジションは、芸能界にたとえると松本人志」というようなことを言ったことがあるらしい。

セルフイメージと世間一般の評価にズレがあるのではないか。

そのへんが、伯山にからかい心を起こさせているのかも知れない。

 

むかし、志らくの独演会に行ったとき、この人、かなりセコいなと感じる出来事があったのだが、本人に悪いので披露するのはやめておく。

 

なんだかんだいっても、立川志らくはビッグネームだ。

だからこそ後輩の伯山が噛みついていくのを、かえって応援したくなってしまう。

ケンカするのなら、どちらも粋にやってほしいものだ。

神田伯山のラジオを聴く(2021年4月30日)

立川志らく小泉進次郎らをdisっていた。
春風亭一之輔の話題も出してきたので、ディスるのかと思ったらそうでもなかった。

以前、高田文夫ラジオビバリー昼ズに出たとき
春風亭一之輔をホントに面白いと思ってます?」
と、高田御大に迫っていた伯山師匠だったが、ほこをおさめたのかな。

珍しく自虐ネタもあったりして、比較的大人しい回だった。

好感度の高い人より低い人をディスるように気をつけているのかも知れないが、それはそれでちょっと淋しい。

あと笑い屋キモイ。

神田川俊郎弁当の思い出

ずっと昔、とあるコンビニが「神田川俊郎先生監修」の弁当を売り出した。
たしか千円以上する超豪華な弁当だったと思う。
当時、コンビニのバイトをしていた私は売れ残った弁当を食べさせてもらった。
メチャメチャ旨かった。

問題が起きたのはそれから二週間くらい経った頃だ。

中年のサラリーマンが血相を変えて怒鳴り込んできたのだ。
「こんな不味い弁当を高い金で売りつけやがって!」
とその男性は怒り心頭だった。

クレームをつけられたのはほかのバイトの子だったので、私は他人事で「ふうん。あれをマズイと思う客もいるんだな」程度にしか思わなかった。

神田川俊郎先生監修の弁当は売れなくなり、かなり在庫が残るようになった。
そこでまた私の出番である。

いそいそと弁当の蓋を開けて、食べてみると・・・不味い!

クソみたいに不味い。
弁当は幕の内形式で、おかずは十種類をくだらなかった。
そのすべてが不味かった。

つまりはこういうことだったのだろう。
(ここから先は私の妄想である)

私がバイトをしていたコンビニチェーンの開発部は、はなから神田川先生のレシピ通りに作る気がなかった。

発売からしばらく経ったら、故意に原材料の質を落として、粗利を稼ごうとしたに違いない。

そうとでも考えなければ、おかずの全てがクソ不味くなるなどということはあり得ない。

当時、神田川先生の耳にはこの事が入っていただろうか。

おそらくご存じなかったのではないか。
もしこんなことが知れてしまったら、訴訟問題に発展していただろうから。

それにしても有名両人の顔に泥を塗ってまで、小金を稼ぎたいものなのか。
なんとも浅ましいことだ。
って売れ残り弁当を食っている私が言える立場じゃないけれど。

神田川俊郎氏のご冥福をお祈り申し上げます。

太田光は松本人志を超えたか

松本人志 太田光 土下座」でググると、なにやら引っかかってくる。
それらの記事が事実だったとして、太田光に非があったとは思えない。
松本人志太田光
ひいてはダウンタウン爆笑問題
どちらが好きというわけではない。
私はテレビをもっていないので、爆笑問題のラジオと、たまにポータルサイトで取り上げられる松本人志の話題だけを元に、現在の二人を較べてみようと思う。

太田光松本人志を超えた。

これが今の私の結論だ。
ふたりが二十代、三十代の頃は、松本人志のほうが断然光っていた。

今、松本が太田より勝っているところは、瞬間的な大喜利での答えとか、それくらいのものだろう。

政治的なコメントは太田光のほうが断然言えている。

最近でいうと、島田紳助氏の枕営業強要疑惑で、松本はひと言も言えていない。
松本と伸助は番組で何度も共演していて、かなり近しいはずだ。
松本が内情を知らないはずがない。
また、フジテレビが放送法を違反していた問題でもだんまりを決めこんでいる。
なにもコメントできないのであれば、司会者とか、アンカーなどの仕事は受けないほうがいい。

一方の太田はどうか。
言ってもいいとなったら、歯に衣を着せずに言うだろう。

「太田は歯止めが利かない」とか「太田は危険だ」とか伊集院光が言っているけれど、それは太田のイメージを尊重しているだけで、太田は計算ずくで言っていいこととよくないことを区別している。

その証拠に松本人志に関しては一切触れてこなかったし、仲がいいとされている木村拓哉を間違ってもおちょくったりしない。

シャレの通じない人物はちゃんと区別しているのだ。

さらに太田は文学的要素も高い。
カート・ヴォネガットとかを語らせたら何時間あっても足りないだろうし、メチャメチャ面白いだろう。

松本にそのへんのことは期待できない。
作る映画はつまらない。
映画評も芯を食わない。

ただ、今現在松本のほうがあたま一つ太田より格上と見られているのは、若い頃、有り余る才能にかまけて横暴なふるまいをしなかったからだろう。

収入と才能につりあわないほどに、謙虚なふるまいをしていたように見受けられる。

松本人志を慕う芸人やスタッフがかなりの数いるのは、そのあたりに原因があるように思う。
そして今の松本はその余録で食えているのではないか。

ここ数年の松本は鋭いことも面白いことも言えなくなったように私には思える。

それでもこれまで培ってきた人脈と、生来の人徳があるからまだまだ芸能界のトップでいられるだろう。

最近、松本の番組に太田光の妻が出演したらしい。
松本は太田光と和解したいのだろう。

太田がこれを受けるか受けないかはもちろん本人の自由だが、いまさら松本と手を組む必要も無いように思える。

ファンとして望むのは、松本人志にはラジオ番組をやってほしいということ。
それもコバンザメみたいな後輩タレントといっしょにやるのではなくて、それなりの論客か、あるいは一人で。
今の松本人志がどれだけリスナーを笑わせられるか、これは興味深い。

 

神田伯山の「武井壮」化

このサイトは別に神田伯山師匠を攻撃しようと思ってつくったわけではない。
むしろ私は伯山のファンである。
が、週に一度のラジオの感想を書くと、どうしても批判になってしまう。
面白い内容だったら面白いと書くつもりでいる。

だが、もう何ヶ月も笑わせてもらっていない。
今回も批判だけになりそうだ。

伯山の小学生時代の恩師と対談するという企画があったらしい。
小学生といっても3,4年である。
対談が成立するのか?
伯山が当時の思い出を振っても、先生のほうは「覚えていない」の連発だったようだ。
よっぽど対談相手がいないのか。

ところでタイトルの「武井そう」化、というのは、こういうことだ。
武井そうという人のことはよく知らないが、ラジオのゲストとかで数回話を聞いたことがある。
そのとき彼は必ずといっていいほど、亡くなったお兄さんの話をするのだ。
相手が聞いてもいないのに、である。
ラジオを聴いているほうとしても、はあ、それはたいへんでしたね、というしかない。

今回の伯山のラジオでも、いきなりお父さんが亡くなった話をし出した。
伯山にどういう計算があるのかは知らないが、リスナーとしては戸惑うばかりだ。
身内が死んだ話は、よっぽどのことが無い限り、自分から持ち出さないほうがいいのではないか。
武井そうも伯山も、もしかしたら好感度、共感度が上がると思っているかも知れないが、あまり効果はないと思う。


あと、講談界を舞台とした漫画を伯山が監修しているらしい。
漫画家と対談をしているということで、神田伯山ティービーを見てみた。
その漫画家が顔にモザイクをかけていた。前科者か。
モザイクかけるくらいなら、YouTubeに出るなよ。

以前、週刊少年ジャンプの作者が素顔を晒したとたん、漫画のファンが激減したということがあったようだ。
それを考えると、何が何でも顔出ししろとは言いにくいのだが、どうも引っかかる。
講談社が送る講談マンガ「ひらばのひと」。
タイトル、どういう意味? 競馬マンガ? わかりづらい。
なんか人気出なさそう。

あと、ラジオの笑い屋、気持ち悪い。

神田伯山の「落語勉強法」は正しいか。

講談師の神田伯山が、落語初心者の勉強法をラジオでレクチャーしていた。

それによると、まずは立川志の輔の落語を五席ほど聞くところからはじめるといいという。

その次か、次の次か忘れてしまったが、六代目三遊亭圓生のCD落語一〇〇席を聞けと。

ここがいかにも伯山らしいと思った。

面白い落語家の代名詞といえば、筆頭に上がるのは五代目古今亭志ん生だろう。あるいはその息子の古今亭志ん朝か。

彼らを選ばずに、圓生を選んだところに伯山の策略があるように思われる。

圓生の落語はつまらない。
が、話としては聞けなくもない。

まさに講談と同じだ。

伯山の講談は笑えない。
笑えるのは、本筋からはずれたくすぐり部分だけだ、と前にこのブログで書いた。

だから伯山としては、落語そのものを面白おかしく演じることのできる志ん生志ん朝を世に知らしめたくないのだろう。

少なくとも、そういう方向で落語の面白さを計られるのは、伯山としては困る。

そういうところから、落語を面白く演じることができなくても名人と呼ばれるまでにはなった圓生を推したいのではないだろうか。

あとラジオではバービーとか女子アナとかプロデューサーの悪口も言っていた。いつものごとく笑い屋の気持ち悪い笑い声にまみれながら。

落語を聞くなら誰がいいですか、と問われたら、迷わず古今亭志ん朝を推す。

立川志の輔から、という意見に異論は無い。

2021年4月13日放送『伊集院光 深夜の馬鹿力』雑感

今度、落語会をやるそうで。
足袋を買いに行った話を延々としていた。
値段を聞けずにドキドキしたみたいなことを言っていたが、セレブが何を仰いますやら。

あと、事務所の後輩か知らないが、笑い屋として(伊集院が金を払っているのだろうか)近くに座らせているらしい。

伊集院はそりゃあ後輩思いで、できるかぎり仕事をふってあげているようだ。
「馬鹿力」しかり、「伊集院光とらじおと」しかり。
しかし本来なら仕事をもらえるほどの実力の無いタレントに、コネで仕事を与えるというのはどうなんだろう。
優しいのだろうか。
残酷なのだろうか。
後にブレイクしたら美談になるだろうし、今の時点では何とも言えないが。

ただ一つ言えるのは、笑い屋という存在は、リスナーにとってジャマでしかないということ。
金をもらってたてる笑い声。そんなものを聴いてリスナーがよい気分になるわけがないだろう。
これは後輩芸人だろうと、構成作家だろうと関係ない。
たとえ太田光がやっても、ビートたけしがやっても邪魔なだけだ。
ウソ笑い、ビジネス笑い、阿諛追従は番組全体を汚す。
神田伯山のラジオにおける、笑い屋の気持ち悪さに気づかない伊集院でもあるまいに。

 

伊集院光、フワちゃん、神田伯山

フワちゃんは成功者だと、伊集院も伯山も言っているけど、違うだろう。
絶対敗者。
今後必ず消える人だ。
先輩を呼び捨てにしている時点で、座る場所さえあるわけがない。
芸能界のみならず、世間が許すわけがない。
フワちゃんはそのうち消える、というか芸能界から相手にされなくなるからいいとして、問題は伯山だ。
いまだにラジオで伊集院を煽っている。
今後、この確執はどうなるだろう。

伯山の敗北を予想する。
私は、神田まつのじょう(変換できない)の頃、「この人は将来、人間国宝まで行くかも知れない」と思っていた。
しかし最近の伯山を見ていると「この人は『講談界のやまもといちろう』程度で終わってしまうかも知れない」と危惧している。

伯山はラジオではほぼ悪口しか言わない。
悪口を言うごとに、気持ち悪い笑い屋が気持ち悪い笑い声を上げる。
まあ、笑い屋のことはいい。

伯山が誰かの悪口を言うたび、伯山のアンチが増えていく。
私にも尊敬するタレントさんとか数人いて、伊集院もそのうちの一人だ。
伯山の伊集院に対する悪口に説得力が無い限り、私は伯山を嫌いにならざるを得ない。

あまり関係の無い話だが、古今亭志ん朝と自分はすでに同列みたいな話を伯山がしていた。
これはシャレにならない。
志ん朝がやっていたCMを自分に、みたいな話を、冗談っぽく言っていたが、さすがに身の程をわきまえろと言いたい。

志ん朝は落語をやるだけで、観客を笑いの渦にたたき込んだ。
伯山の講談では何も起きない。
ただ、くすぐりのときにファンが笑うだけだ。
要するに伯山はくすぐりだけなのだ。
志ん朝の名前は金輪際出さないでほしい。

まあ、それはともかく。
伯山はこのままでいくと本当に大輪の花を咲かせずに終わってしまうかも知れない。
それはさすがに残念だと思う。

ラジオの笑い屋は気持ち悪いが、もうちょっとガマンして聞き続けてみたい。

 

局アナのフリートーク

ラジオを聴いていたら、アシスタント役の局アナが、パーソナリティに質問された。
「最近、悩みある?」
「後輩にフリートークのコツを教えるのが難しいです」
と局アナは答えた。
これにはこけた。
この人、自分ではフリートークができてると思っているんだ。
この局アナが口を開くたび、菅首相の答弁を聞いた時みたいに、あまりのしょうもなさに脱力しているんだけど。
自分では気づかないものなんだねえ。

DHC社長を応援する

民間企業の社長で、あれだけ言いたいことを言うというのはできるものではない。

もちろん不買運動を見越してのことだろう。

よほど自社の製品に自信があるのか。

 

奇しくもフジテレビの株が、法の枠を越えて外国人の手に渡ってしまっていたことが明らかになった。

過去のことと言っているが、日本のテレビ局を自由にできる足がかりを外国人が掴んだのだ。

取得した株を簡単に手放したとは思えない。

表向きの名義だけ日本人にして、着々と日本乗っ取り計画は進んでいると推測する。

 

DHCを不買運動するのは自由だが、フジテレビは絶対に見ない運動はしなくていいのだろうか。

明らかな法律違反なのだが。

神田伯山師匠、自身の番組内で高級マクラの宣伝をする

ラジオショッピングじゃなしに、神田伯山師匠がTBSラジオ「問わず語りの神田伯山」内で、3万円するマクラを絶賛していた。

もちろん商品名をぼかすことなく。

いやあ、伯山師匠も丸くなったというか、なんというか。

「夏目アラタの結婚」のジレンマ

ビッグコミックスペリオールで連載中の乃木坂太郎「夏目アラタの結婚」が面白い。
死刑間近の美少女殺人鬼と結婚するはめになった児童相談所職員の夏目アラタ。
もし妻が無罪になったらアラタは殺人鬼といっしょに暮らさなければならない。
って設定なんだが、ここ矛盾していないか?
少女が冤罪だったら、殺人鬼でも何でもなかった、ただのふつうの人だったことになる。
本当に数人を殺していたら、塀の中から出てこられない。
どちらにしろアラタが命の危険にさらされることはない。

ようは獄中結婚しましたってだけの話。
作者はうまくそこをボカして描いているけれど、もともと存在しない恐怖を煽るこけおどしにもそろそろ飽きてきたので、ここに記しておく。
もっとも少女がやはり連続殺人鬼で、そのうえで裁判官やら検事やらを全てだまし、無罪を勝ち取り、晴れて塀の外へ出る、という展開もないではないが、それはあまりにも現実味がなさすぎる。