神田伯山は落語芸術協会を脱退しても良いのではないか。

基本、伯山師匠を褒めています。

先日、「講談師の神田伯山がYouTube動画の撮影の手伝いを落語家にさせているのは違和感」があると書いた。
撮影の手伝いをしているのか、させられているのか、その落語家の本心は定かではないが、高座のマクラで「カメラマンです」と言い、客が笑うというのはそれを当然と思っていない、何かしら引っかかるものを感じているからだろう。

それはそれとして、神田伯山が出演すると寄席が満員になる(そうでないときは客が来ない)という状況がある。
今の伯山なら日本全国どこに行っても数千人規模のホールを満席にできるだろう。
そんな講談師は伯山しかいない。

今のまま活動を続けても何の支障もない。
しかし、である。
もしその独演会の模様を自身のチャンネル「神田伯山ティービー」で流したらどうなるだろう。
数十万から百万を超える人が観ることになる。

コンテンツは同じでも、やりようによっては数千から数万倍の人が観てくれる。

伯山がこの誘惑にいつまで耐えきれるだろうか。

主催者の宣伝が下手だと、数十人から数百人しか集まらない。
寄席だと満員でも数百人。

しかし自由にカメラを持ち込める環境さえつくれば、100万人以上の人が観てくれる。
こうなってくると、はたしてこのまま芸協にいることが得策かどうか、という話になってくる。

高田文夫が言っていたが、伯山は芸能史に名を残すほどの傑出した才能だ。
それを分かろうとしない、分かりたくもない人たちが大勢いる。

この前配信された動画で席亭が映っていたが、まことに横柄な態度だった。
自分の立場が分かっているのだろうか。
もはや寄席などなくてもいい時代になってしまっているということを。
(どうせ絶滅はしないだろうからこんなことを書いている)

もし伯山が立川談志のように、梁山泊ならぬ伯山泊みたいなのを立ち上げても、充分やっていけるだろう。
そしてそっちのほうが講談の本筋、本流となっていくかも知れない。

ようは寄席でちまちまと数十人を相手にするような器ではなくなってしまったということだ。
そして目の前には数十万、数百万人を収容できる器が用意されている。

今まで育ててもらった義理もあるだろうが、いつまでもそこに縛り付けられているようなキャラクターでもないだろう。

最後にどうでもいいが、高田文夫太田光が何と言おうと、納得いかないなら伊集院光と和解する必要はない。

あと、ラジオの笑い屋きもい。